生薬マメ知識
6~7世紀ごろ、対馬を経て徳川吉宗のもとへ届けられ日本に伝来したチョウセンニンジン。その後、本草学者で平賀源内の師でもある田村藍水によってこの種子の栽培が行われ、全国に広まっていきました。チョウセンニンジンは、和名として「オタネニンジン」と呼ばれることもありますが、その理由は将軍・吉宗が日光の薬園で栽培し、各藩に種子を分け与えたことに由来しています。“将軍より賜った種”という意味で「御種人参(オタネニンジン)」と呼ばれるようになったそうです。